大型バイクはやはり見栄なのか?生成AIを試しながら自分を見直してみる!

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030-自動車とバイク

へっぽこヘタレライダーの管理人です。

管理人は、かれこれ10年以上にわたり大型バイクにのってきました。

免許をとった数年は、休日のツーリングは至福の時間であり、所有すること自体が一種のステータスであると信じてきた側面もあったのは事実。

しかし、最近年齢的な限界も感じ、大型バイクに乗ることに無理を感じる事もしばしば・・・

250CCクラスのバイクに乗り換えたいとも思いつつも・・・

なかなかその踏ん切りがつかない。

これは、ある種の大型バイクに対する【執着】があるのか?

それとも「見栄」なのか改めて自虐的に分析してみる。


日本の道路事情と過剰なパワー

まず、日本の道路事情を冷静に鑑みると、大型バイクの持つ圧倒的なパワーは、その性能を十分に発揮する場面が極めて限定的であると言わざるを得ない。

最高速度が制限された一般道はもとより、高速道路であっても、その有り余るエンジン性能を使い切ることは不可能である。

この点において、クルマの世界における普通車と軽四輪自動車の対比と酷似していると思う。

軽四輪自動車は、そのコンパクトな車体と経済性にもかかわらず、高速道路を含む日常の移動において十分に実用的な性能を有している

管理人のクルマは、コンパクトカー(ZC33S型スイフトスポーツ)であるが、

バイクと異なり、高級車に乗る方々を羨ましいと感じることはない。

一方で、バイクの場合、こうはいかない。

小排気量のバイクに乗ることには、なぜか「負けた気がする」という感情がつきまとう。

この「負けた気がする」という感覚の具体的な理由は、自己分析でもよく分からない。

理性では割り切れない、感情的な障壁がそこには存在しているのである。

一般の非ライダーからすれば、大型バイクであろうと小排気量バイクであろうと、その違いを明確に認識することは少ないであろうと思う。

しかし、管理人(多くのライダー?)にとって、そこに絶対的な「差」が存在すると感じられるのではなかろうかと思う?


田舎暮らしにおけるバイクの位置付けと「趣味のモノ」への執着

管理人の住まいは田舎であり、クルマは日々の生活を営む上で不可欠な「道具」である。

しかし、バイクは異なる性質を持つ。

田舎暮らしでのバイクは、純粋な「趣味のモノ」であり、生活必需品ではない。

※職業でバイク便をやっている方などは除く

この「趣味のモノ」という位置付けが、大型バイクへの執着をより強固にしているのかもしれない。

趣味の世界においては、人はとかく「良いもの」を求めがちである。

管理人も同じである。

高性能なカメラ、高級な釣り具、高価なオーディオ機器など、そのジャンルにおける最上位や、所有欲を満たすに足るものを欲するのである。

大型バイクもまた、「趣味のモノとして最良の選択」が良いという感情が入るのだろう。

しかし、「趣味のモノとして最良の選択」である大型バイクは、その重量ゆえに取り回しが極めて辛いという現実がある。

自宅からの出し入れや、駐車場での移動、Uターンなど、日常的な場面でその重量が乗り手に重くのしかかる。

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結果として、乗ることが億劫になり、文字通り「盆栽化」してしまうという皮肉な事態を招いているが管理人の現実である。

つまり、手に入れた「良いもの」が、その重さゆえに趣味としての自由な移動手段としての機能を損なっているのである。


コストパフォーマンスという現実と見栄の狭間

また、大型バイクを所有することの経済的側面も看過できない。

大型バイクは、車検制度の対象であり、維持には定期的な費用が発生する。

加えて、タイヤやブレーキパッドなどの消耗品も高価であり、そのコストパフォーマンスは決して良いとは言えない。

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冷静に判断すれば、車検がなく、維持費も比較的安価な250ccクラスのバイクこそが、最もコスパに優れた選択肢であることは、管理人も十分に理解しているつもりである。

250ccクラスのバイクは、軽量で取り回しが容易であり、日本の交通環境においてもその機動性は非常に高い。

日常の足から、適度なツーリングまで、幅広い用途で活躍できるポテンシャルを秘めている。

にもかかわらず、私はその「最もコスパが良い」という事実を受け入れ、乗り換えを決断することが、未だにできないわけである。

この乗り換えを妨げている感情こそが、「見栄」であると管理人は自己分析している。

大型バイクに乗ることで得られるであろう周囲からのわずかな注目や、自分自身の「ライダーとしてのプライド」が、合理的な判断を曇らせているとしか言いようがない。


結論:見栄という自己欺瞞からの脱却

結果として、客観的な視点で自己を省みることで、大型バイクに対する私の執着が、合理性や実用性ではなく、多分に「見栄」という感情に根差していることは明確である。

日本の道路事情において過剰なパワー、趣味のモノとしての過度な執着、そしてコスパの悪さを認識しながらも、小排気量車への乗り換えを躊躇させる「負けた気がする」という感情は、他者からの評価を過度に気にする自己欺瞞であると言える。

「たかがバイク、されどバイク」。

この小さな乗り物が、人間の持つ根源的な承認欲求や、他者との比較による自己評価の歪みを如実に示しているのかもしれない。

管理人が大型バイクという物質的な所有物を通じて得ようとしていたものが、いかに曖昧で不確かなものであるかを痛感させる。

この「見栄」という感情から解放され、真に自分にとっての「自由」と「喜び」をもたらすバイクとの付き合い方を模索していく必要があると思う。

しかし、これがなかなかできない。

それが問題だ。

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コメント

  1. なかちゃん より:

    暑中お見舞い申し上げます。

    あのバイクは、まだ店頭にありました。
    なかなか売れないようですね。
    それとも、てるぞうさんが買うのを遠くから待っているのかもしれませんね。

    店頭にあるあのバイクを見るたびに、てるぞうさんを思い出します。
    元気かなぁ、と。

    • てるぞう より:

      なんとかギリギリ生きてます。
      最近は、バイクのユーザー車検をどう通そうか悩んでいます。
      やったことがないので・・・
      地元にカワサキプラザが無いので、県外で買ったのですが、
      さすがに入庫と出庫で県外に2往復するのは辛いですし。

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