情報処理技術者試験を受験し始めたきっかけは・・・?
役所の情報管理部門は、なかなか辛い・・・
学生時代はずっと文系で、役所の採用も事務職でした・・・
しかし、何故か異動で情報管理部門へ・・・
当時は、まだ1人1台パソコンが無い時代でした。
パソコンのOSもWindows95・・・
CPUは、PentiumⅠ クロック周波数66Mhz
メモリは、8MB
ハードディスクは、多くても2GB
今から、約20年くらい前の事です・・・
今では、
CPUは、ハイスペックなものであれば、Core i 7~9
クロック周波数3.0Ghz前後
メモリは、8GB~
ハードディスクからSSDに代わり、256GB~
という感じですので、時代の流れを感じます。
パソコンが分からなくても、パソコンの設置や設定をやらされる・・・
さて、情報管理部門配属されると、当時はまず人事異動直後のパソコンのトラブル対応からスタートです・・・
しかし、当時はPCオタクくらいしか、自分でパソコンも持っていない時代です・・・
インターネット回線だって、まだアナログ回線とモデムの時代です。
パソコンの設置や設定なんて、素人が分かるわけありません・・・
しかし、配属された直後の4月は・・・
「パソコンが動かないと仕事にならない・・・早くなんとかしてよ・・・」
と同じ職場の人間に罵声を浴びせられながらも・・・
なんとかこなさなければなりません・・・
今は殆ど聞かなくなった・・・エンドユーザーコンピュティング・・・?
しかも、「エンドユーザーコンピューティング」とうい言葉が、当時は流行ったのですが、職場にパソコン等のOA機器を普及させなければいけない立場でもありました。
なんのことやらさっぱり分からず、見積りを取っても業者によく足元を見られたものです・・・
パソコン1台の設置・設定費用で、3万円の見積なんて当たり前でした。
まずは、初級システムアドミニストレーター(SD)から!
ということで、なんとか知識を付ける為にと、「初級システムアドミニストレーター」から受験し始めたのがきっかけでした。
当時を思い出すと、今の「ITパスポート」試験よりも、「初級システムアドミニストレーター」の方がかなり難しかったと思います。
自分のレベルが低すぎた・・・こともあるのですが、出題範囲も多く、表計算やSQL等の知識も問われたので、なかなか手強かったと記憶しております。
合格率は、30%程度でしたが、なんとか頑張って1回目で合格することができました。
暫くするとセキュリティーの時代へ・・・
暫くすると、情報セキュリティーが重要視されるようになりました。
情報の電子化が進むにつれて、大量の情報が、容易に持ち出せる様になり、情報の漏洩・改ざん・消失等が問題視されてきました。
情報漏洩事件の事例
1999年(平成11年)京都府宇治市データ漏洩事件
宇治市が乳幼児検診システムを民間業者に委託した際に、再々委託先のアルバイトの従業員がデータを不正にコピーし、約22万件の住民基本台帳データを名簿販売業者に販売したとうものです。
平成14年7月11日の最高裁の判決では、1人当たり弁護士費用をプラスした15,000円の支払いが命ぜられました。
これが契機となり、国から全自治体に対して「情報セキュリティポリシー」を策定するよう、のガイドラインが制定されました。
いきなりそんなものを策定しろと言われても・・・とうのが正直なところでしたが、これもまた仕事ですので、なんとかこなさなければなりません・・・
自治体によっては、コンサルタント業者に策定を依頼したところもあるのではないでしょうか・・・?
今考えれば、ここでも実は、「国策事業で、自治体からお金を巻き上げて、官僚の天下り先へお金を流そうという」魂胆が隠れていた様に思えます・・・
当時の私はは、「今ほどやさぐれて」いませんでしたので、こんな風に考える事も出来ませんでした。
情報セキュリティポリシーを策定する為に、情報セキュリティアドミニストレーター(SC) に挑戦!
ただ当時は、なんとなく、「コンサルタントに委託する事がしゃく」だったので、自分で策定する為に、勉強を兼ねて「情報セキュリティアドミニストレーター(SC)」を受験しました。
これは、かなり辛い勉強だったと記憶しております。
なにせ「セキュリティ」の「セ」の字も知らないところからのスタートでしたので、とにかく勉強しまくりました。
1日約2時間の勉強を約半年間続けたと記憶しております。
その甲斐あってか・・・まぐれか・・・は、分かりませんが、なんとか1回目の受験で合格することができ、無事に「情報セキュリティポリシー」も策定することができました。
合格率は、13%前後でした。
もちろん改訂しながらですが、今でも自身が策定した「情報セキュリティポリシー」が運用されいてる事は、喜ばしい事であります。
無謀にも上級システムアドミニストレーター(AD)に挑戦・・・
当時の情報処理技術者試験は、「システム開発者側」と「システム利用者側」に分けられておりました。
当然ですが、役所勤めの私は、利用者側であります。
実は、「上級システムアドミニストレーター」を受験する前に、「基本情報技術者」と「ネットワークスペシャリスト」には、挑戦しましたが、やはり「開発系の試験」は、私には難易度が高く挫折しました。
しかし、ちょうどその時期に、仕事で関わりのあった「上級コンサルタント」の名刺の保有資格欄に「上級システムアドミニストレーター」と記載がありました。
なんだか良く分かりませんが、「上級」というフレーズが「恰好良いイメージ」です・・・
こうなったら「システム利用者側の資格を制覇する」という単純な理由のみで、「上級システムアドミニストレーター」の受験を決めたのですが・・・
なんと・・合格率は、10%未満・・・
同じシステムアドミニストレーターでもあまりにも「初級」と「上級」の難易度が違い過ぎました。
何故に間の「中級」が無いのかと疑問を呈したくなる程です・・・
しかし、既に「開発系の試験」は、自分には無理だと分かっております。
「利用者側」で受験できる資格は、「上級システムアドミニストレーター」しか残っておりませんので、やるしかありませんでした。
これも、かなり辛い勉強だったと記憶しております。
1日約2~3時間の勉強を約半年間続けました。
しかし、あまり人気の無い試験だったのか、私の受験会場では、受験者が20人を切っているという寂しい状況でした。
情報処理技術者試験は、いつも時間との闘い・・・
とにかく、午後1の記述問題が時間が足りずに回答に困難を極めました。
当時の試験は、今の高度区分の午後Ⅰと異なり、4問中3問を回答する必要がありました。
回答問題数が1問多いということは、部分点が取りやすいということでもありますが、その分時間との戦いです。
如何に、早く文章を読み解き、要点を掴み、問題の趣旨に沿って回答できるかが、勝負でした。
今でもそうですが、自分にとっては、午後Ⅰが鬼門です。
時間があれば、解けるとは思うのですが、読解力が低いので、どうしても時間が足りなくなります。
対して、論文はいくつか想定問題を記憶しておけば、意外となんとかなるものです・・・
とにかく、午後Ⅰの記述問題にかなり苦労したことだけは、覚えています。
午後Ⅱの論文については、あまり覚えておらず、いくつか想定した問題がヒットし、スラスラ書けたことだけは覚えております。
かなり頑張って勉強した甲斐あってか・・・はたまた又もやまぐれか・・・は、分かりませんが、この試験もなんとか1回目の受験で合格することができました。
かなり難易度の低い試験でしたので、合格できたときは、本当に嬉しかったです。
ちなみに、午後Ⅰの記述試験の点数は、60点ギリギリでした。
2009年(平成21年)せっかく取った資格がすべて無くなる・・・
2009年(平成21年)に苦労して取得した資格が、IPAの試験の改訂で全て無くなりました。
驚愕と愕然の瞬間です・・・
試験の改訂に関するIPAの主張は、次のとおりです。
「ベンダ側と利用側が同じレベルになってきちんと会話できないと、有効なシステムは作れない」
・・・そんなこと当たり前じゃないの・・・とツッコミたくなる主張です。
特に苦労して取得した、高難易度の「上級システムアドミニスレーター」が無くなったことはショックでした。
まとめ
IPAが試験区分をコロコロと変えるのは、正直止めて欲しい・・・