へっぽこヘタレアラフィフ親父ライダーの管理人です。
今週末も・・・
愛機のMT-09SPの慣らしをチマチマと頑張ります。
最近は、仕事に辟易し、重い足取りで自宅に帰ったとは・・・
ガレージのシャッターを開け、そこに鎮座する愛機、2024年式 Yamaha MT-09SP を眺めるのが日課かな?
さて、今回も慣らしとしていつものお散歩コースをそれなりのペースで流してきた。
帰宅後、タイヤの表面を凝視すると、そこにはリアタイヤの端に約1cmから1.5cmの未接地部分。
いわゆる「アマリング」が、残酷なほどくっきりと残っている。
今回もそれほどタイヤの端を使えなかったな。
自分としては「これが限界」というところまでバンクさせているつもりなのだが、
やはり、管理人の腕はまだ「ヘタレ」の部類なのだろうか。
そんな自問自答を解決すべく、今回もAIとの対話を通じて導き出した、
論理的な分析結果を整理しておきたい。
現状のプロファイリング:過剰なアクションと「拒絶」
まず、管理人の現在の走行状態を客観的に整理する。
車両はMT-09SP。
サスペンション設定は、路面の追従性を重視した「かなり柔らかい」セッティングだ。
空気圧は、タイヤのライフを優先し、メーカー指定の標準圧(リア2.9)を遵守している。
次に管理人のライディングフォーム。
お尻をイン側に大きくずらし、上体も斜め下へ落とし込む、いわゆるハングオフ。
セルフイメージでは「バイクから落ちそう」と感じるほど深く体を入れている。
しかし、その一方で、公道のギャップに対する恐怖心から、両足で強固にニーグリップをしているという矛盾した挙動も見られる。
この「攻めの姿勢」と「守りのグリップ」が、タイヤの接地端にどのような影響を与えているのだろうか?
分析:なぜ「落ちそうなほど倒している」のにアマリングが残るのか
生成AIによって導き出された結論は、皮肉なものであった。
管理人の技術がないのではなく、むしろ「体の使い方がバイクの性能に対して効きすぎている」可能性があるというのだ。
- 強力な重心移動の代償: 体を大きくインに入れているということは、それだけ強力な「イン側への重心移動」が機能していることを意味する。結果として、バイクを深く寝かさなくても、遠心力とバランスが取れてしまい、「曲がれてしまっている」のである。バイクを寝かせてアマリングを消すことと、効率よく曲がることは、実は必ずしも一致しない。
- ニーグリップの「ブレーキ」: 恐怖心からくる強固な両足ニーグリップ。これが無意識のうちに、車体を垂直方向に引き止める力として働き、バンクの深化を妨げている可能性がある。
- オーバーステアの罠: MT-09SPの鋭い旋回性と、柔らかいサスペンションの組み合わせ。これにより、フロントがインに入り込みすぎて「内側に切り込みすぎる」状態を誘発している。それ以上バンクさせようとしても、すでにバイクがインを向きすぎているため、物理的にバンク角を稼げない状況に陥っているのだ。
「消す」ための論理的な一手:あえての「引き算」
では、アマリングを消すためにはどうすべきか。
それは、これまで「良し」としてきた操作をあえて捨てる、勇気ある退歩が必要になるかもしれない。
まずは、ライン取りの変更である。
オーバーステアを相殺するため、より「アウト・イン・アウト」の「アウト」を意識し、
コーナーの奥まで我慢してから一気に寝かす。
次に、フォームの微調整だ。
お尻のずらし量をあえて「半分」にする。
重心移動による旋回効率を意図的に落とすことで、バイクをより深く寝かせる「余地」を作るのである。
さらに、セッティング面での歩み寄りも不可欠だそうだ。
管理人が頑なに守ってきた「リア2.9」という高圧。
これを自己責任においてわずかに下げることで、タイヤの「潰れ」を作り、接地幅を広げる。
同時にサスペンションの「伸び側減衰」を強め、ギャップ後のおさまりを良くすることで、バンク中の安心感を担保する。
「生存本能」というリミッター
しかし、ここで管理人の脳裏をよぎるのは、コケたくないという防衛本能。
管理人はアラフィフという年齢であり、職場では監督職を務める身だ。
バイクで転倒し、大怪我をして仕事を休むという愚行。
それは、公務員として、あるいは責任ある立場として、最も避けねばならない事象である。
公道のギャップに対する恐怖心は、人間が持つ正しい「生存本能」だ。
アマリングが残っているということは、その1.5cmの余白が、そのまま「命のマージン」として機能しているということでもある。
「バンクさせずに曲がる」のが究極の理想だと理解しつつ、アマリングを消したいという自尊心との葛藤。
だが、客観的に見れば、管理人の現在の状態は「高度な重心移動」が正しく機能している結果であり、決して「下手」と断じられるものではないらしい。(生成AIによるハルシネーションの可能性あり)
大人の趣味とは「余白」を愛することである
結局のところ、大人のライディングとは、タイヤの端を消すことではなく、 「どれだけ高い技術を持ちながら、その技術を誇示せずに余白(マージン)として残せるか」 の連続である。
タイヤの端に残った1.5cm。
それは、管理人が無事にガレージへ帰還し、冷えたビールを煽るための「通行証」のようなものだ。
もし、この先どうしてもアマリングを消したくなったなら、それは公道ではなく、サーキットというクローズドな環境で、リスクを管理した上で行うべきであろう。
今回も、無事に帰ってこれて良かった。
バイクを磨き終え、微かに残るタイヤの端を眺めながら、管理人は思う。
「この1.5cmこそが、俺の理性の証である」と。
自分を納得させるための言い訳かもしれないが、
その納得こそが、長く趣味を続けるための秘訣なのかもしれない。
※最近は以前ほどバイクにのって楽しいとは思わないが・・・
ただ、リーンウィズでバイクをバンクさせるほうがよほど怖いな。



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