超底辺地方公務員の管理人です。
毎度おなじみのモンスタークレーマーがまた来庁してきました。
毎日でも来そうな勢いでホント嫌になります。
今回は、直接的に管理人は対応していませんが・・・
となりの部署でながながと話だし・・・
気が散って仕方がありません。
- 声が耳に入るだけでも
- 姿が視界に入るだけでも
これだけ人を不快な気持ちにさせるのですから・・・
ある意味で凄いですね。
もちろんですが、対応している職員が、さらに凄いエネルギーを消費します。
管理人は、少し話をしただけでも、かなり不快な気分なりますし、思い出しただけで吐き気がします。
正にPTSD【心的外傷後ストレス症候群】です。
こんなモンスタークレーマーであっても、お役所としては、それなりの対応を強いられるので正にブラック企業ですよ。
一般企業であれば、とっくの昔に出禁になっています。
欧米では、サービス提供側とお客はあくまで対等の関係であるらしいので・・・
日本の接客は異常としか言いようがありません。
【お客様は神様】の本来の意味は・・・
演歌歌手の三波春夫氏が、歌う時に「神前で祈るときのように雑念を払い、真っ新(さら)な心にならなければ完璧な藝を披露することはできない」とする心構えを語ったことが元だそうです。
とすれば・・・
例えば、お客様を広く「世間」と捉えた時に、企業等が世間の評価を受け入れ、世間の声に謙虚に耳を傾けることと言い換える事ができます。
世間評価には、相応の理由がありますので、お客様の総和である世間とは、商品・サービスの価値を測る尺度となります。
つまり・・・
お客様=世間=神
という図式が成り立つのでしょうか?
結局のところ【お客様は神様】=【個々のお客が神様】と神様であるべき世間自体が誤認しているということですね。
おかしな話ですよね。
さて憲法で【すべての公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない】と規定されています。
ともすれば、一人のクレーマーに職員が長時間拘束されるということは・・・
正に一部の人間に奉仕させられている・・・
ということにならないでしょうか?
職員が拘束される=職員の手が止まる=本来の仕事ができない=残業=人権費が掛かる
ということで、税金のムダになるんですよね。
公務員は、最小の費用で最大の効果を出す責務がありますので・・・
無駄な残業なんてしている暇なんてないんですよ。
では、たとえ残業をサービスでこなしたとしても・・・
人間ですので、そのシワヨセが必ず出てきます。
サビ残のせいで、翌日の仕事の効率が下がることもあるでしょう。
つまり、クレーマーの対応なんて、税金のムダ使い以外のナニモノでもないんですよね。
ただ、こういう輩って基本的にKYなんですよね。
おそらく、自身がやっていることで、相手がどう思っているかなんて考えられないんでしょうね。
嫌われている自覚があるのか・ないのか分かりませんが・・・
もし嫌われている自覚があるのであれば・・・
一般的な精神の持ち主だったら、どこかで引くことができると思います。
しかし、それができないのが、こういう輩なんですね。
つまり行き着くところまで行くしかありませんので・・・
佐賀県の嬉野市の様な対応をしても良いと思うのですよ。
以下、佐賀県の嬉野市の事例
佐賀県の嬉野市では、特定の市民に対して、以降は文書でしか対応しないという通告した。
「佐賀県嬉野市が市内に住む50代男性に対し、市長名で一部を除く市役所での窓口対応を拒否する通知を出していたことが、弁護士などへの取材で判明した。識者は「行政が窓口対応を断る通知を出すのは異例で、通知に法的根拠は全くない。大人げない対応だ」と話している。
3月13日付の通知書で、市は男性に対して「貴殿の市に対する質問、意見などは、回数、所要時間、内容において、市の業務に著しい支障を与えてきた」と指摘。そのうえで市への質問は文書に限り、回答は文書で行う
住民票や戸籍、保険、年金の窓口交付以外の対応は文書の受け取りだけに限る
電話には一切応対しない
の3点を通知した。
引用:毎日新聞
識者とは「行政法に詳しい元愛媛大法文学部の教授」らしいですが・・・
「行政機関として、窓口対応を断るのではなく、きちんと話を聞いて納得してもらう努力をすべきだ」と指摘しているそうです。
何事も程度の問題だと思うのですが、問題なのはクレームがどの程度の域に達しているのかだと考えます。
全てにおいて「努力」等という精神論では、窓口対応にも限界があるのではないですか?
そういうことをこの元教授は、どのように考えているのか甚だ疑問です。
【お前が役所の代理人となってそのクレーマーを説得できるか努力してみろよ!】って感じですね。