ド田舎の公務員が少子化について真面目に考えてみた

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080-お仕事

超ド底辺地方公務員の管理人です。

さて、2026年から子ども・子育て支援金制度が開始されます。

支援金と名前はなっているのでややこしいですが・・・

支援納付金対象費用に充てるため、令和8年度から毎年度、医療保険者から支援納付金を徴収することであり、また医療保険者は、支援納付金を納付する義務を負うことであり。

要するに増税ですね。

徴収対象は子どもがいる・いないに関わらず全世帯です。

ちなみに支援納付金対象費用は次のとおり

  • 出産・子育て応援給付金の制度化(妊婦支援給付金)(R7.4~)
  • 共働き・共育てを推進するための経済支援(出生後休業支援給付金・育児時短就業給付金(R7.4~)、国民年金第1号被保険者の育児期間中保険料免除(R8.10~))
  • こども誰でも通園制度(乳児等支援給付)(R8.4~)
  • 児童手当の拡充(R6.10~)
  • 子ども・子育て支援特例公債の償還金等

こども家庭庁ってロクなことを考えませんな。

百害あって一利なし。さっさと解体してほしい。

全世帯から徴収することになっていはいますが、子どもがいない世帯はリターンがないので、独身税と揶揄されています。

金をばらまいて少子化が解決できるのか?

さて、金をばらまいて果たして少子化とれんどが変更するのでしょうか?

この制度は、これまで繰り返されてきた少子化対策の失敗を鑑みるに、新たな「愚策」となる可能性が高いことを指摘せざるを得ないと思っています。

これまでも、自治体の政策による子どもの医療費助成の対象拡大や国による児童手当の拡充など、様々な形で「お金のばら撒き」による少子化対策を講じられてきた。

しかし、その結果がどうであったか。

少子化のトレンドは一向に変わらず、むしろ加速する一方である。

これは、経済的支援のみでは少子化問題を根本的に解決できないことを明確に証明している。

にもかかわらず、今回の支援金制度は、名目を変えつつも、結局は国民から徴収した資金を子育て世帯に分配するという、過去の失敗と本質的に変わらない政策を繰り返すだけである。

歴史から何も学ばないその姿勢は、まさに「愚かさ」と断じるに値する。

少子化問題が極めて複雑な要因によって引き起こされていることは、多くの専門家が指摘している。

経済的な問題のみならず、長時間労働の常態化、保育や教育の質の不足、社会全体の多様性への受容の低さ、そして若者たちの将来への不安といった多岐にわたる課題が絡み合っている。

にもかかわらず、政府は常に単一的、表層的な対策に終始し、これらの抜本的な問題に目を向けようとしない。

さらに深刻なのは、政府が「抜本的に解決できる策がないこと」を自覚していない点である。
※自覚していても体裁上なにか遣らざるを得ない。

ソクラテスは「無知の知」を説いたが、現代日本の政策立案者にはこの謙虚さが決定的に欠如している。

少子化という巨大な社会構造の変化に対し、そのトレンドを短期間で劇的に変えることは極めて困難であるという現実を直視すべきである。

できないことを「できる」と嘯き、無駄な努力を国民に強いるのは、もはや欺瞞であると言えよう。

現代社会における少子化トレンドは、日本に限らず多くの先進国で共通して見られる現象である。

個人の価値観の多様化、女性の社会進出、ライフスタイルの変化など、社会全体の不可逆的な変革がその背景にある。

このような巨大な潮流を、おろかな政府の一存で、ましてや「保険料」という形で国民から金銭を徴収することで覆せるなどと考えるのは、傲慢としか言いようがない。

管理人は、政府が本質的な課題から目を背け、小手先の対策に終始する姿に辟易しています。

できないことをできないと認め、その上で現状における最善の策を模索する誠実さが今こそ求められている。

少子化トレンドを短期間で反転させることは、現状では不可能であるという現実を直視し、その上で、持続可能な社会を構築するための長期的なビジョンを提示するべき。

国民に新たな負担を強いる前に、政府は自らの政策の限界を認め、「なぜ同じ愚策を繰り返すのか」という問題に真摯に向き合うべきである。

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子ども・子育て支援金制度の徴収はするけど給食費の無償化は自治体任せの矛盾

国は、新たに財源確保策として国民から「子ども・子育て支援金」を徴収しようとする一方で、子育て世帯の課題の一つである学校給食費の無償化を自治体任せにしている現状は、国家の少子化対策に対する本気度と整合性において重大な矛盾ではないか?

この矛盾こそ、国家が国民に対して負うべき責任を放棄し、不公平を助長している証左である。

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現在、日本の国民負担率は約50%弱に達しており、これは30年前と比較して約20%も上昇している。

国民は、所得税、消費税、社会保険料など、多岐にわたる形で相当な負担を強いられている。

そして、この国民負担率は、全国の都道府県でほとんど差異がない。

つまり、どの地域に住んでいようとも、国民は等しく国家に対して一定の経済的貢献をしているのである。

このような状況下において、新たに「子ども・子育て支援金」という形で追加的な徴収を国民に求める一方で、子育て世代にとって直接的な恩恵となるはずの給食費無償化が、いまだに自治体の独自制度に委ねられているのは極めて不公平である。

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国民が全国一律の負担を強いられているならば、国家が実施すべき子育て支援策もまた、全国一律で提供されるべきだ。

地域によって給食費の負担があるかないかという格差が生じることは、国民の公平感を著しく損ねるものであり、国の責任の放棄に他ならないと管理人は感じる。

学校給食費の無償化は、子育て世帯の経済的負担を軽減し、ひいては子どもの健全な育成に資する重要な施策として、今日では社会の「トレンド」ともなっている。

実際に、多くの地方自治体が独自財源を投入して給食費の無償化を進めている状況である。

しかし、国はこのような動きに対して、財政的な支援をほとんど行っていない。

国が少子化対策を国家の最重要課題と位置づけるならば、なぜ国民負担率が全国でほぼ同じであるにもかかわらず、住む場所によって子育て環境に明確な格差が生じるような状況を看過するのであろうか?

国民から新たな負担を徴収してまで「支援金」制度を創設しようとする熱意がある一方で、目の前の給食費無償化という具体的な課題に対しては、自治体に責任を押し付ける姿勢は、少子化対策に対する国の「やる気のなさ」を如実に物語っているといっても過言ではない。

これは、国が掲げる少子化対策のスローガンと、実際の政策遂行との間に存在する深刻な矛盾であり、国民への説明責任が強く求められる。

国民負担率が50%近くに達している現状において、国家は国民から徴収した税金や保険料を、国民の生活に直結する課題解決のために優先的に投入すべきでだ。

その最優先事項の一つが、子育て世帯の経済的負担を軽減し、全ての子どもたちが等しく教育を受けられる環境を保障することで一つである。

給食費の無償化はまさにその範疇に含まれると思う。

しかし、国は全国一律で実施すべき最優先事項を放置し、その責任を地方自治体に転嫁している。

その一方で、新たに「子ども・子育て支援金」という名目で国民から徴収しようとするのは、まさに本末転倒であると言わざるを得ない。

このままでは、国民は負担増だけを強いられ、実質的な恩恵は一部の地域に限られるという不公平が拡大するばかりだ。

国家は、国民に等しく課される負担に見合うだけの公平な支援策を、全国一律で実施する責任を果たすべきである。

そうでなければ、少子化対策という名の国民からの徴収は、単なる財源確保のための欺瞞に過ぎないという批判を免れることはできないであろう。

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