超底辺地方公務員の管理人です。
本来、地方公務員である管理人の仕事は、地域住民生活を支え、
より良いサービスを提供することにあるはずだ。
しかし、今、管理人のデスクの上にあるのは、住民の笑顔とは無縁の「運用コスト適正化計画書」という名の分厚い書類である。
モニターの青白い光に照らされながら、管理人は思う。
「我々は一体、誰のために、何のために、この『仕事のための仕事』を積み上げているのか」と。
今回は、自治体システム標準化の荒波の中で浮上した「ガバメントクラウド運用経費補助金」を巡る、あまりに理不尽な構造について、AIとの対話を通じてその核心をえぐり出したい。
「運用補助金」という甘い罠の正体
まず、令和7年度(2025年度)から始まる新たな財政支援策の概要を整理する。
これまで「移行経費」に限定されていた国の支援が、
ようやく「運用経費(ランニングコスト)」にまで及ぶことになった。
- 地方公共団体情報システム運用最適化支援事業費補助金: 補助率は1/2。移行後に一時的に増加する運用経費を抑制することを目的としている。
- 地方交付税による措置: 補助金でカバーしきれない残りの経費や、クラウド利用料、ネットワーク費の増加分をサポートする仕組みだ。
一見すると、国が自治体の負担を肩代わりしてくれる「慈悲深い施策」に見える。
しかし、その裏には極めてクリティカルな条件が隠されている。
補助金を得るためには、自治体自らが「いかにコストを削減するか」を記した運用コスト適正化計画を提出しなければならないのである。
本末転倒:BPRの旗印の下で行われる「無駄の創出」
デジタル庁が掲げるBPR(業務再設計)の本来の目的は、不要な仕事を減らし、効率化することだったはずだ。 しかし、現場で起きているのは「計画のための計画」の増殖である。
「仕事のために仕事をやらされている感じしかしない」
この現場の叫びに対し、AIは極めて鋭い分析を提示した。
本来、デジタルの力で事務作業を減らすべきデジタル庁が、補助金申請のために新たな書類仕事を自治体に創出している現状は、組織の自己目的化の典型である。
「標準化すればコストが下がる」という当初の目算が甘かったことのツケを、
自治体に「計画書」という形でのコミットメントを求めることで帳尻を合わせようとしているのだ。
中央集権的DXの限界と「責任の転嫁」
ガバメントクラウドは、実質的に選択肢のない「官製プラットフォーム」である。
為替の影響やCSP(クラウドプロバイダー)の価格設定に左右される「クラウド利用料」は、自治体の努力だけでコントロールできるものではない。
- 外貨流出の構造化: 米国メガクラウドへの依存を決定付けたことで、国自体が価格改定に対するコントロール権を喪失している。
- 責任の書き換え: にもかかわらず、コスト高騰の要因を「自治体の運用の仕方が悪い」という論理にすり替え、適正化計画を迫る姿勢は、プラットフォーム提供者としての責任を棚上げにしていると言わざるを得ない。
これは、国と地方の「対等・協力」の関係ではなく、財政的な首根っこを握った上での「権力による動員」に他ならない。
「デジタル独裁」への懸念
デジタルの最大のメリットは「便利だから自発的に使う」ことにある。
しかし、現在のデジタル庁の手法は、2025年度末という非現実的な期限を設定し、
法律と予算を盾に無理やり従わせる「強行軍」である。
その結果、現場では本来のDX(変革)ではなく、単なる「古い業務のデジタルへの焼き直し」が強行されている。
2,000近い自治体の多様性を無視し、東京のオフィスで考えた「理想の運用」を押し付ける行為は、現場が長年培ってきた住民を守るためのノウハウを破壊しかねない。
失われた「信頼」の代償
デジタル庁は、日本というレガシーなOSをアップデートしようとしているが、
その「アプリケーション」は現場のニーズを無視したバグだらけの状態である。
「仕事のための仕事」を強いることは、現場の公務員の労働意欲を削ぐだけでなく、そのコストを最終的に支払わされるのは住民である。
管理人が今、デスクで向き合っている計画書。
これを書き上げたところで、住民の生活が1ミリでも良くなるのだろうか。
「国は何をやっても許されるのか?」という問いに対し、我々は沈黙を守るべきではない。
行政の無謬性神話に寄り添うのではなく、現場のリアルな歪みを指摘し続けること。
それが、この理不尽な「DX狂騒曲」に対する、せめてもの抵抗である。
さて、計画書の続きを書くとしよう。
いつか、このモニターの向こう側に、本当の意味での「住民のためのデジタル」が見える日が来ることを、微かに、、本当に微かに願いながら。である。
追記:計画書という名の「思考停止」?軽トラとレクサスを並べる愚
深夜、管理人はモニターに映し出された「運用コスト適正化計画書」の様式を前に、乾いた笑いを漏らしている。
今、目の前にあるのは、およそ合理的とは言い難い「数字の羅列」を強いる行政のバグそのものである。
この計画書の様式、一言で言えば「馬鹿らしい」の一点に尽きる。
移行前と移行後の経費を、気の遠くなるような細かい粒度で入力させる仕様だ。
この膨大な空欄を埋める作業自体が、どれほどの行政コストを浪費させているか、霞が関の住人には想像もつかないのだろうか。
比較の前提が「崩壊」している
そもそも、オンプレミスのレガシーシステムと、ハイパースケールなガバメントクラウドを同じ物差しで比べること自体、データ分析として科学的ではない。
管理人に言わせれば、これは「軽四輪自動車からレクサスに乗り換える」ようなものだ。
あるいは、「ボロアパートから都会のタワーマンションに引っ越す」ほどの差がある。
セキュリティレベル、冗長性、スケーラビリティ。
前提条件がこれほどまでに異なるものを、単純な維持費の多寡で比較し、その差分を「適正化」と呼ぶ。
リンゴとステーキの値段を比べて「どちらが栄養効率が良いか」と議論するような、極めて歪な光景がここにある。
武器を奪い、戦えと命じる「技術的矛盾」
さらに致命的なのは、コスト最適化を叫ぶ側が、最適化のための「武器」を現場から取り上げているという事実である。
AWSをはじめとするクラウドの鉄則は「可視化」と「最適化ツールの活用」だ。 しかし、現状の自治体コンソールでは、以下の機能が封印されている。
- Compute Optimizer: 適切なインスタンスサイズを提案する機能。
- Savings Plans: 継続利用による大幅な割引契約。
- Cost & Usage Report (CUR): 詳細な利用状況の可視化。
これらが見えず、使えない状態で「コストを下げろ」と迫るのは、「目隠しをして手足を縛った状態で、エンジンの燃費効率を上げろ」と言っているに等しい。
デジタル庁がマルチテナント管理を優先するあまり、現場の権限を縛り、その一方で「個別努力」を書類で報告させる。 これはもはや、マネジメントではなく、単なる「責任の押し付け」である。
デジタル庁は「アホ」なのか、それとも「不作為」か
客観的に見れば、デジタル庁にいるはずの優秀な民間出身エンジニアたちが、この矛盾に気づかないはずがない。 それでもこの運用が通ってしまう背景には、技術以前の「病理」が透けて見える。
それは、財務省に対する「アリバイ作り」だ。
予算を確保するために、「自治体にこれだけ努力(書類作成)をさせています」というポーズが必要なのだ。
つまり、この計画書はシステムの最適化のためではなく、「予算獲得のための儀式」として存在している。
「ガバナンス」を「統制・管理」と履き違え、現場をエンパワーするどころか、昭和の「紙と鉛筆による管理統計」に逆戻りさせている。
行政が生み出す「最大のゴミ」
高度なクラウド基盤を導入しながら、マネジメント手法だけが旧態依然としている。
現場の知見が反映されないまま、無意味な数字を埋めさせる作業。
これこそが、現在の行政が生み出している「最大のゴミ」と言っても過言ではない。
本来、デジタル庁がなすべきは、国レベルでリザーブドインスタンス等を一括購入し、スケールメリットによる割引を現場に還元することだ。
それをせず、自治体に個別の「節約努力(という名の書類作成)」を求めるのは、プラットフォーマーとしての職務放棄に他ならない。
管理人は、空欄だらけの計画書を眺め、再び深く溜息をつく。
この「詰んだ」状況を打破するには、もはや書類の書き方を工夫する段階ではない。
「ツールを返せ、さもなくば無意味な比較報告を廃止せよ」 そう論理的に突きつけることこそが、今、現場に求められている「本当のBPR」なのかもしれない。である。



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