へっぽこヘタレスキーヤーの管理人です。
さて、2024年も12月中旬になり、
2024/2025年のスキーシーズンも
熱心なスキーやにとっては、
そろそろ慣らし運転も終わり本格始動といった感じですが、
管理人の地元では、まだまだスキー場がオープンしません。
暖冬の影響か雪が降らないので、仕方がありませんが・・・
過去の例でも最速のオープンでも、
12月15日~20日くらいの間だったと記憶していますので、
まだ、少し早いといった感じです。
以前、熱心にスキーをやっていた頃は、
11月中旬ごろから、
まずは人口雪でオープンするスキー場に行き、
12月に入ったら、白馬辺りの天然雪をめがけて滑っていました。
しかし、近年は暖冬の影響と
年々減少するスノースポーツ人口の影響で、
廃業したり営業を遅らせるスキー場が多くなり、
以前は、11月中にはオープンしていたウインズヒルズも
今では、それほど頑張って早期に営業を開始することはしなくなった様です。
調べてみると、シーズンインに良く行っていた、
岐阜県の郡上周市周辺のスキー場は、
以前よりも遅れている様です。
かなり前のスキー日記を振り返ってみると・・・
- 11月:岐阜県郡上市のスキー場群
- 12月:白馬周辺や志賀高原
- 12月末~3月末:地元
- 4月:白馬周辺や志賀高原
- 5月のGWまで:白馬周辺や志賀高原やアライ等
- 5月中旬:横手山・渋峠
とうい感じでした。
記憶に残る限りで、MAXで1シーズンに60日滑った記憶があります。
このころは、まだ若くて体力もあったのか、
平日の仕事終わりにナイターに行って2時間ほど滑ったりもしていました。
今では、考えられません。
猛吹雪の日にナイターに行って、
駐車場で車が嵌って、脱出に手間取り1本も滑らずに帰ってきたことあります。
今思い出しても、アホですね。
さらに、全日本スキー連盟という怪しいスキー教団に所属してしまい、
このバッチを取得するために、いくら投資(お布施の間違い)したか分かりません。
この団体は管理人にとっては、
世界平和統一過程連合(旧統一教会)とそれほど変わらない団体だと思っています。
何度試験に落ちて涙したことか・・・
今から思えばですが、
社会人からスキーを始めたサンデースキーヤーにとって、
よくよく考えれば、クラウンプライズなんて無理ゲーなんですよね。
余程、運動神経とセンスがあれば、別だと思いますが、
凡そ普通の人には無理です。
マテリアルには金が掛かりますし、
滑走日数も稼がねばなりません。
忙しい社会人には到底無理な話です。
また、これを取得しようと思うと、
あまりにも犠牲にしなければならないモノが多すぎます。
管理人は、なんとかまぐれと運だけでなんとか取得できましたが、
今思い返しても、あれは奇跡でしたね。
再現不可能です。
ちなみに、マテリアルで使ったお金を計算してみると・・・
高級車1台は買えたかも・・・しれません。
ただ、オークションサイトで売却もしているので、
差し引きすると、中級グレード車1台くらいです。
それだけの時間を金を掛けて得たものは、
ちっぽけなプライドのみ・・・
今にして思えば、そんなことに金を使うくらいなら・・・
投資信託でもマメに購入していれば良かったと思いますが、
当時は、そんなことなんて露程も考えていませんでした。
もともと運動音痴なのに、何故スキーにはこれほど嵌ったのか、今では謎です。
コメント
スキーの想い出は。。。
大学の授業でスキーというのが後期にありまして、実習意外の日はスキーの歴史を学び、2泊3日の実習は、隣県の山形蔵王に行き(これはほとんど遊び)ました。
私はボーゲンしかできなかったんですけれど、樹氷がきれいだからと、ロープウエーで上級コースまで連れていかれて、苦労して上級コースを滑った後で、人生最初で(きっと)最後の樹氷のコース(中級)を滑ってきました。
その後、大学の近くにスキー場があったのと、スキーをやる時期だけ開く駅があって、そこに出かけたこともありますが、上達はしませんでした。
懐かしい思いでです。
お金をたくさんかけた、と言う点では、パソコン類を相当買って(当時は高価だった)ベンツなら2台ぐらい買えたかも、っていう具合でした。
大学の授業でスキーがあったとは驚きです。
当方が通った大学ではスキーの授業どころか、
スキー部すらありませんでしたので。
もちろん、当方のスキーデビューは社会人になってからです。
用具が高いので学生時代は無理でした。
昔のパソコンのだと、9801のちょっと良いモデルで
100万のイメージです。(約40年前くらい)
確かに、数回買い替えれば、ベンツは買えますね。
学生時代に下宿してましてね。
そこのご夫婦が山歩きする人で、スキーの板は奥さんのを借りてました。
ウエアーはさすがに自分で買いましたけど。
ちなみに、スケートの授業もあったんですよ。私は取りませんでしたけど。
まだITという言葉やインターネットという言葉が出る前には、5MByteeのHDDが20万円でしたね。PC-9801VM2が40万円でしたし。ま、買えるだけの分をもらっていた独身時代でもあったんですけどね。
スケートの授業まであったとは驚きです。
スケートは靴すら実物を生で見たことありません。
そもそもスケートリンク自体が地元になかったですね。
私が初めて買ったパソコンが平成7年でPc9801でした。
14インチのブラウン管のモニター付きで25万くらいだったかと。
Windows3.1で95に無料アップグレードできました。
記憶はあいまいですが確かメモリは2MBでHDDは200MBくらいだったかと。
今のパソコンのスペックとは比較になりません。
学生時代に住んでいた下宿は、スケート場のすぐ上にあって笑。
年子の兄も一緒の下宿で、兄は夏はボート、冬はスケートやってました。
そんないい環境だったけれど、スケートはスキーに比べるとほとんどやってませんでした。転んだ時のダメージを考えたら。。。怖すぎ。
これまた学生時代の体育で剣道をやってました。半年くらい。
学生時代にはクラブ活動はせず、アマチュア無線ばかりやってました。大人の方と一緒にあっちこっちに移動して。
その趣味が縁でIT業界に就職しましてね。当時はまだ紙テープの時代で、パソコンという言葉と出会ったのは2年目か3年目でしたか。
むかしのメモリは小さかったけれど、プログラムは繊細だったので、小さくてもOKでしたね。今は、使い放題で、個人的には無駄が多いプログラムは好きではありません。
そういえばスケートではありませんが、
スキーの練習でローラーブレードをやっていた時期があり、
いちど酷いコケ方をして脊髄を1か所圧迫骨折しました。
いまのところ後遺症はありませんが、
紙テープの時代とは初めて聞きましたが、
ネットで調べてみて理解しまいた。
そういう時代もあったのですね。
当方の認識でもっとも古い媒体は、
カセットテープでした。
カセットは、私が学生時代でしたね。mz-8001だったかなぁ。キーボードとカセット(記憶媒体)とモニターは電卓程度の窓があったかなぁ。
カードタイプのもありましたね。
懐かし過ぎます。
ローラーですね。なんか転ぶと痛そうですね。
そうそう、リハビリを終え、来週から社会復帰だったのに、昨日、右の肋骨を傷めて全治1か月と診断され。また休職が延びました。周囲から呆れられ(あ、切れられ)そうです。
次は肋骨ですか?
私は肋骨を折った事がありますが、
くしゃみもできずにかなり酷い思いをした
記憶があります。